じじぃの「世界一速い・スパコン・京・東芝製マイコンキット3点!開運なんでも鑑定団」 - 老兵は黙って去りゆくのみ
じじぃの「世界一速い・スパコン・京・東芝製マイコンキット3点!開運なんでも鑑定団」
これが世界一の速さだ! スーパーコンピュータ『京』のスゴさを開発現場から徹底解明 ニコニコ生放送
Japan Wows with World's Fastest Computer 動画 YouTube
Top 10 Fastest Supercomputers in the World 動画 YouTube
[ScienceNews]世界最高速! 次世代スパコン「京」とその活用 動画 YouTube
なんでも鑑定団お宝情報局 東芝社製マイコンキット3点
コンピュータ ウィキペディア(Wikipedia)より
1940年代に最初の実用デジタルコンピュータが登場して以来、コンピュータに使われる技術は劇的に変化してきたが、すべてのコンピュータはチューリングマシンと等価な原理で動作している。
【歴史】
・紀元前3000年頃 古代バビロニアで数字が誕生し十進法が定められる。
・1698年 ライプニッツが二進法を数学的に確立。
・1905年 ジョン・フレミングが二極真空管(後のダイオード)を発明。
・1936年 アラン・チューリングが万能計算機械(チューリングマシン)の論文を発表。
・1945年 ジョン・フォン・ノイマンがプログラム内蔵方式を提唱。
・1946年 ペンシルベニア大学でENIACが完成。
・17468本の真空管を使って作られたENIAC1947年 AT&Tベル研究所のウォルター・ブラッテン、ジョン・バーディーン、ウィリアム・ショックレーらがトランジスタを発明。
・1951年 レミントンランドが初めてUNIVAC Iを商品化。
・1952年
米IBMが初の商用のプログラム内蔵式コンピュータIBM 701を発売。
日本初のデジタル式リレー計算機「ETL Mark I」を通産省工業技術院電気試験所(現:産業技術総合研究所)が開発。
・1958年 米テキサス・インスツルメンツのジャック・キルビーが集積回路(IC)を発明。
・1964年 IBMがメインフレームのSystem/360を発売。商用初のオペレーティングシステムが生まれる。
・1967年 IBMがフロッピーディスクを開発。
・1971年 インテルが世界最初のシングルチップのマイクロプロセッサ、i4004を開発。
・1974年 インテルが8ビットのマイクロプロセッサi8080を発表。10月に発売されたビジコンの電卓141-PFに搭載される。
・1975年
ビル・ゲイツがマイクロソフトを設立。同年9月にi8080用のBASICインタプリタ発売。
どのような価格のホームで販売
クレイ・リサーチ社、Cray-1を発表。スーパーコンピュータの代名詞となる。
・1977年 アップルコンピュータ、パーソナルコンピュータApple IIを発売。
・1979年 NECがPC-8001を発売。
・1989年 東芝がノートパソコンDynaBookを発売(IBM PC/XT互換)。
・1995年 マイクロソフトがWindows 95を発売。
パーソナルコンピュータ史 ウィキペディア(Wikipedia)より
パーソナルコンピューター史は、パーソナルコンピューター(パソコン)の歴史である。
【米国における歴史】
アップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズが1976年に、ガレージで製造したワンボードマイコンのApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売、ごく少数販売するに留まったが、翌年発売したApple IIは大成功を収め同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピューターの普及を促した。これは整数型BASICインタプリターをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパーソナルコンピューターの基本的な構成を満たしている。Apple II はオープンアーキテクチャーであったため多くの互換機をも生み出すこととなり、同時にシェアも奪われることにつながった。後に互換機メーカーへの警告や提訴を行ったが、互換機メーカーが無くなることはなかった。
【日本における歴史】
国内では1976年5月に東芝よりTLCS-12A EX-0(定価99,000円)が発売された。電源装置を別途用意すれば、12ビットのLED表示とディップスイッチを使ってテレタイプ端末などの入出力機器を必要とせずに動作させることができる国産初のワンボードマイコンである。後の「国産マイコン」に連なる最初の製品は1976年8月3日に日本電気 (NEC) より発売されたTK-80(定価88,500円)とされる。本機はTK (Training Kit) という名前からも分かるように、元来は8080互換マイクロプロセッサの評価・教育用ツールであった。本家インテルの評価キットSDK-80はテレタイプ端末を想定したデバッグモニタが付いており、より高機能であったが高価かつ一般には流通しないものであった。これに対しTK-80はボードに16進キーボードとLED表示器がついただけのものだったが、同年9月に秋葉原に開設したBit-Innでサポートが行われ、同月にNECマイコンクラブを結成するなど積極的なユーザー支援体制もあって、企画当初の予想を超えたベストセラーになった。
京 (スーパーコンピュータ) ウィキペディア(Wikipedia)より
MLSポストフォールズID
理化学研究所次世代スーパーコンピュータ開発実施本部を開発主体として、総事業費約1120億円を投じ、富士通から購入。2012年(平成24年)の運用開始時に理論演算性能10ペタフロップス(演算速度は毎秒1京回)の達成を予定している。2011年(平成23年)6月、LINPACKベンチマークにおいて8.162ペタフロップスを達成し、TOP500リストの首位を獲得した。2011年(平成23年)11月、最終構成でのLINPACKベンチマークにおいて世界初の10ペタフロップスを達成し、再びTOP500リストの首位を獲得した。現在では世界最速記録を持っている。
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開運! なんでも鑑定団 2011年12月20日 テレビ東京
【司会】今田耕司、石坂浩二 【鑑定士軍団】柴田文彦(エンジニアリングライター)
須藤さんは、昨年大手電機メーカーを退職し、現在は悠々自適の毎日を送っている。
趣味は「機械いじり」。5歳にして真空管ラジオの解体を始めた程の筋金入りで、既に購入した墓石には家紋ではなく、真空管の回路図を刻んでしまったほど。
お宝は発売当時、飛びついて購入したコンピューターだが、その後次々に発売された他社の製品に気をとられている内に押し入れにしまいっぱなしになっていた。
こんな物に値が付くものなのか、是非知りたい。
どうでもいい、じじぃの日記。
2/19、再放送だったがテレビ東京 『開運!なんでも鑑定団』で「東芝製マイコンキット3点」を観た。
大体、こんなことを言っていた。 (手抜きしている)
ちょっと大きめの「Toshiba T3190」とロゴが入ったCPUが映像に出てきた。
コンピューター黎明期の1970年代半ば、日本企業が独自に開発し発売した幻のマイコンキットとは!?
次なる依頼人は須藤さん(61歳)。須藤さんの自宅に番組スタッフが行くと、部屋で長山洋子の「TWO OF HEARTS」を聴いていた。全部自分で自作したというステレオ・アンプで音楽を楽しんでいる。スピーカーも自分で作ったという。
須藤さん、「このアンプは私が全部作りました。こちらのスピーカーも私が作ったんです。こういう真空管などで作った人はみんなそうだと思いますが、自分の作った音を聴きたいんです」
ところで、お宝は何ですか?
手に入れたのは今から35年ほど前、当時は画期的なものが発売されたと飛びついたのですが、
須藤さん、「その後、次から次にいろんなものに興味ができて、そのまましまいこんでいたものです」
今田さん、「拝見しましょう。オープン」
家庭での破産は何を意味しません
須藤さん、「昔のマイクロコンピューター(東芝製マイコンキット3点)のキットです。これが日本で一番最初のキットです」
東芝製マイコンキット3点、並べられていて、1つには「TLCS-12A」と書かれている。
今田さん、「当時、いくらぐらいで買ったのですか」
須藤さん、「10万円ぐらい」
今田さん、「え〜、高い!」
コンピューターはもともと第二次世界大戦時に大砲など弾道計算するため軍事目的に開発されたものである。しかし今は、パソコンはもとより、携帯電話に家電と生活のあらゆる面で活用されており、人間の手足のごとく複雑な命令系統を代行してくれる。当初はコンピューターの部品に真空管が使われていたため、その大きさは部屋を埋めつくすほどの大きさだった。到底、家庭で使うものではないと考えられていた。
世界初のコンピューター、ENIACの映像が出てきた。
その常識を破ったのが、1971年にインテル社発表した世界初の4ビットマイクロプロセッサである。これにより、個人でコンピューターを所有するのは夢ではないと考えられるようになったのである。その先駆けとなったのがスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが立ち上げた「アップルコンピュータ」であった。アップルコンピューターはキーボードが付くなど、コンピュータの歴史を塗り替える新しい機能を備えていた。しかし同じころ、日本でも画期的な商品が発売されていた。1976年、日本初の国産マイクロプロセッサが発売された。それが今回の依頼品「東芝製マイコンキット」である。実はその開発の陰には意外なエピソードが隠れていた。1971年にマスキー法の制定により、厳しい排ガス規制に頭を悩ますアメ リカの自動車会社フォードから東芝にエンジンを完全に制御するコンピュータを作って欲しいという依頼が寄せられた。条件は「16ビット程度の処理能力で小型かつ安価であること」。しかし、当時はインテル社がようやく4ビットマイクロプロセッサを発表したばかり。即ちそれは世界一の能力を持つマイクロプロセッサを1から開発することを意味していた。苦心の末、ようやく国産初のマイクロプロセッサが誕生したが、コストの面から処理能力は12ビットにせざるを得なかった。しかし同じ頃、インテル社が発表した新型が8ビット止まりだったことを考慮すると、画期的な出来事である。マイコンキットはこの快挙を広く一般的に知ってもらうべく、発表したと思われる。
依頼品は東芝製マイコンキット3点で「EX-0」「EX-80」「EX-5」。当時、別売りされた説明書も全て残っていて状態は良い。
須藤さん、「本も全部揃っていますから、50万円」
デジタル表示の数字盤がカチャカチャ、上がっていく。
今田さん、「おう、すごい。100万!」
柴田さん、「本当に珍しいものが出てきたと思います。特に一番向こう(TLCS-12A EX-0)のもの。日本産としては初のマイコンキットです。日本初だと思われているのは実はNECのTK-80という全く別の製品なんです。それよりも数ヵ月前に、東芝がそれを出しているんです。それがあまり認められていないもんですから、というのもほとんど出回っていないからなんです。CPUがもともとキット用に作ったわけではなくて、車のエンジンを制御するために作ったということで12ビットというコンピューターの世界でいうと、中途半端な数字になっています。NECなどは8ビットだったんです。でも当時主流だった8ビットよりも計算能力は高いです。左側のものは数字が入力できるようにテンキーが付いていますが、もっと古い右側のものはキーボードも数字の表示板も無い、小さなスィッチをボールペンの先などで操作して入力する という大変マニアックなものです」
今田さん、「今、考えたらすごいことですね」
じじぃの感想
「今、考えたらすごいことですね」
おまけに、去年世界一になった京・スーパーコンピューターも載せておきました。
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